講師の音楽性を知る上での参考になれば、と、これまでの音楽遍歴をまとめました。
現在はJazzをプレイすることが多いですが、もともとは8ビートのロックから16ビートのファンクっぽいプレイ歴の方が長いかもしれません。
ちょっと恥ずかしい(?)思い出もつづっておりますが、どうぞ温かい目で見てあげてください。
<小・中学校>
・兄がギターを買うと言うので、お年玉から共同出資する(強制徴収?)。
・尾崎豊のコード弾き語りを練習をする。
・6年生?の時に地元の体育館でライブをするため、リアカーで巨大なアンプを運ぶ。GLAYの「BE LOVED」を怖い先輩達の前で披露。
・毎晩DIE IN CRIESを聴きながら寝る。ギターの室姫深氏に心酔し、頭を振り踊りながら弾く練習をする。
一挙手一投足真似ようとしてました
・CRAZEの瀧川一郎氏のまねで、ストラップをとことん長くして弾く練習をする。ギターを投げるイメトレもしていたが、どうしてもギターを作った人の気持ちになってしまい、投げれず。
・THE MAD CAPSULE MARKETSのCDをみんなに聴かせて喜ぶ。
・自分の好きなアーティスト達が「影響を受けた」と挙げていた、NIRVANAやRANCIDなどを聴く。
・中2の時、BLOODY IMITATION SOCIETYのライブを聴きに仙台へ遠征、初めてライブハウス(仙台MACANA)へ。突発性難聴になって点滴を打つ。
・L’Arc-en-Cielのライブを安比高原で見る。初めての大規模野外ライブの人のうねりに感動する。
<高校>
・当時海外で人気だった、COLDPLAYやLinkin Parkなどの洋楽を聴く機会が増える。
とても素敵な曲ですね
・LOSTPROPHETSやFINCH、HOOBASTANKなど、「エモ」「スクリーモ」と呼ばれるバンドを聴くようになる。(今ではONE OK ROCKのように日本でもメジャーになりましたが、「エモ」「スクリーモ」という形容やジャンルはこのあたりから日本で使われ始めました。)
メロディックな感じとエモーショナルの融合が好きでした
・文化祭で黒夢を弾く。でもワイシャツの裾はイン。
…この頃までは、あまりテクニックには興味が無く、「生き様」的な要素が自分にとって最重要でした。(でも、その後の進路はとても堅実的でした。)
<大学・大学院>
・エレキギターレッスンを受け始める。
・当時は勉強の要素が強かったものの、Eric ClaptonやJeff Beckなど、いわゆる「ギタリストから見てすごい・うまい」と言われる人達を聴き始める。
今聴く方が沁みますね
・Larry CarltonやRobben Ford、今剛氏や松原正樹氏といったスタジオミュージシャンのセッションものも聴く。当時は好きなギタリストを聞かれると「今剛さんです」と答えてました 。(玄人と思われたかった)
この頃から「ギターの音が良いか」に意識が
・DAVE MATTHEWS BANDやSOULIVEなどにはまり、バンドのアンサンブルの中に即興的な要素があるということを知る。
美しいアコギとムキムキのバイオリニストが癖になります
ファンキーに生きたいと思うようになりました
・John MayerやNorah Jonesのように、アメリカではジャズの素養を積んだシンガー&プレイヤーが多いことを知る。
Neonかっこいいですよね
テレキャスの音がとても良いです
・PAT METHENY GROUPや、JOSHUA REDMAN ELASTIC BANDなど、Jazzミュージシャンが演奏する(4ビート以外の)曲を少しずつ聴き始める。まだ4ビートよりもFunkのような乾いたスネアの16ビートの方が好きで、Jazzも聴き始めてはいたが、勉強的な意味合いが強かった頃。
そのフレーズとテクニックと風貌とストラップの短さと…もう360°からの衝撃が
ガットギターとホーンの美しいハーモニー
一時期この曲ばかり聞いてました
・Earl KlughやPaul Brown、George Benson、Sadeなど、Smooth JazzやEasy Listening(改めて書くとすごいジャンル名)を好んで聞く。
まったくEasyじゃないGeorge Benson
Sadeもよく聴きました
・音川英二氏のジャムセッションクラスに通い始める。このクラスでかむろ耕平氏とも知り合う。
・音川氏が在籍していた森山威男バンドのライブを新宿PIT INNで見る。凄すぎてJazzに対するイメージが変わる。
スーパーサイヤ人かと思いました
・初めてジャズセッションのお店(高田馬場intro)に連れて行ってもらう。何も弾けずにフリーズする。
・エレクトーンの発表会に、ギター兼仮装担当として参加。仮装で高い評価を得る。
・エレキギターレッスンを卒業。
<社会人>
・ジャムセッションクラスで知り合った友人のバンドのサポートを始める。20歳そこそこでみんな既にプロのレコーディングや講師などをしており、サポートなのに自分が一番下手だったので、防音室を購入してたくさん練習する。
・かむろ氏からKurt Rosenwinkelの「Next Step」とBrian Blade Fellowshipの「Perceptual」を借り、「Zhivago」と「Crooked Creek」を聴いて人生一の衝撃を受け、一気にJazzにハマる。ここが人生の分岐点。
・Kurt Rosenwinkelの「Star of Jupiter」ツアーを見て、宇宙に飛ぶような感動を覚える。
宇宙に行きました
・かむろ氏のジャズギターレッスンを受ける。
・毎週のように友人たちとセッションをする。
・カフェやバー、レストランなどで演奏しながらセッションを続け、今に至る。
ここに載せきれないアーティスト達がまだまだたくさんおりますが、今後何かの折に紹介できたらなと思います。
改めて振り返ると、とても振れ幅の大きい音楽人生でした。笑
この頃に比べてストラップがだいぶ短くなりました